2012年02月の記事 (1/1)

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評価は患者さんの思いを知ってこそ

Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.

一度も失敗をしたことがない人は、
何も新しいことに挑戦したことがない人である。

        アルバート・アインシュタイン



来週は、一宮のとある病院の勉強会の講師をさせて頂きます。

今回2回目となります。


テーマは
「仮説・検証 -片麻痺の上下肢のアプローチと対応のために-」


でございます。



といっても、評価法の話なんかもちろんしません…。

精神論です(笑)



最近、精神論や患者心理についてなど、
勉強会や講演で、
いわゆる教科書的な話をしなくなってきています。


もちろん、MMTやROMなどの評価方法が適切であることは大事です。


でもボトムアップ的な個々の評価を細かく行い、
個々の機能障害に対する訓練を行っても
患者さんの抱える問題点が改善するとは限りません。


患者さんの抱える問題の多くは、
病前のADLができないなど、生活に直結するものが多いはずです。

今までできていたことが、何らかの原因によりできなくなったために
困っているはずです。


その問題点は個々の機能障害の単純な足し算でできている訳ではないと思います。


患者さんは障害を受けることで
身体機能面だけではなく、
その機能面の障害によって

自分の身体に対する認識も変わってしまうと思います。

使えない手
頼りない脚
グラつく体
痛い脚
感じない手
痺れた手


など運動や感覚の障害により
今まで経験したことのない
自分の身体を体験します。


その体験による心理的な変化も運動に影響を及ぼします。

見た目は同じような動きであっても、
その理由は患者さんによって異なります。


見た目と筋力低下を単純に結びつけることは簡単です。
(合っているかは別として)

歩行中の振り出しで足が背屈せず、
つま先が引っかかるのを

足の背屈筋が働かない

を結論付けるのは簡単です。


じゃあ背屈筋を鍛えたらいいじゃん、となります。

でもそれが意外にうまくいかないんですね。


背屈筋がうまく使えないから患者さんは困っているんですね。

使えてたら、別にセラピストに言われなくても使ってます。
それがやりたくてもできないから歩行で足が引っかかったりと
生活に不便を生じているんじゃないでしょうか。


背屈筋の機能不全は

もしかしたら
足首を動かす感じが分からなくなってしまっているのかもしれません。

足を引きずっていても太ももや骨盤を使って、振り回すように足を出せば歩けるから
それでいいや、と思っているのかもしれません。

もしかしたらその歩き方でも
頑張って歩く練習を繰り返していれば
自然に足首も良くなる、と思っているのかもしれません。


どの患者さんでも
病前は、何も考えなくとも自分の身体は
思い通りに動いていました。

誰も足首の動かし方、を誰かに教えて動くようになった訳じゃありません。
生まれた時から、失敗を繰り返しながら
自然と自己の身体制御を獲得してきました。

それが病気や怪我で急に思い通りに動かなる、という
状況に直面します。


セラピストはそんな患者さんの
身体へとアプローチしていくことになります。


初めてのリハビリの日に、
セラピストの一方的な
筋力やら関節可動域やら周径やら計られ、

「○○筋が弱いので鍛えましょう」

「☆関節が硬いので曲げましょう」

と言われたらどう感じるでしょうか?

でも患者さんはそれがリハビリだと思ってしまうかもしれません。

リハビリの先生が言うことだから、とそのまま従ってしまうかもしれません。



リハビリもある意味、接客業です。

患者さんの望んでいることを知らずして何が提供できるんでしょうか?


例えばTKAの患者さんでも

膝が曲がらなくて困っている人もいれば

痛みさえなければ多少見た目は悪くとも
まずは家で家族のために家事をしたい!

と考えている方もいると思います。

上記のお二人に対して
同一のリハビリを提供するのでしょうか?

お二人の困っていることは違うはずです。
リハビリに期待することも違うはずです。
二人の「良くなる」という基準も違います。


まずはそれを知ることが最初ではないでしょうか?

「はい、じゃあ筋力見せてください」
「膝がどのくらい曲がりますか」


………の前に


「何にお困りですか?」
「何ができたらうれしいですか?」

など患者さんの思いをまずは把握することが大事だと思います。

その患者さんのニードがあってこそ、
そのニードを叶えるために
こちらが何ができるのか?

を探るのが評価ではないでしょうか?
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ASRINに参加して下さった皆様に:すぐにできる治療なんてない!

障害からのリハビリは、
今まで考えずにできていたことを、
今度は頭と身体を使いながら再獲得する、
という人生で初めての経験だということを、
セラピストも自覚していないといけない。

         Bridge管理人(笑)



はい、偉そうなこと言いました(笑)。


さてさて、昨日の続きです。

*今回の内容は昨日のASRINに参加した方でないと分かりにくい内容があります。経験した方でないと意図が伝わらないかもしれませんのでご了承ください。


昨日の勉強会でBridge、という存在を知った方はこのブログの過去の記事を遡ってご覧いただけますと
自分の考えが少しでも理解しやすくなるかもしれません。



昨日の講演に参加してくれていたセラピストの方が
ブログに感想やそこから考えたことを
書いて下さいました!

カッサーノのニューロリハ日記



この先生、まだ二年目(だったかな)です。

本当に末恐ろしい後輩です…。


大体このブログを読んだら、
良い感じが分かることの重要性が分かります。


ということで読んで勉強しましょう!!
僕より真面目に説明してくれてますから(笑)


そして今日のテーマは
すぐにできる治療なんてない!

です。



昨日、自分の講義では、机を会場横にはけて、椅子だけにしてもらいました。

さらに「配布資料は見る必要ないです」

と言いました。


その狙いとは………

配った資料は自分の頭の中を分かりやすい形にするために言葉にしてあります。

文献とかと一緒ですね。

じゃあそれを読んだら自分と同じ介入効果が出せるのか…?

昨日参加された方は分かりますよね?!


同じことはできなかったはずです。

それは別に

俺ってすげーだろ!なんてことが言いたい訳じゃもちろんありません(笑)


言葉で説明するのは限界があるってことですね。

言葉で説明できることなんてほんのほんのほんのほんの…………

わずかなことです。


言葉は頭を整理することには役立ちます。

でもそれがイコール治療技術が上がること、とは別次元の話なんです。


スポーツ分野のコーチなんかは脳科学をしらなくても
選手の身体の使い方を上手く引き出すこと、ができる方は沢山いらっしゃることでしょう。



今まで7年間考えてきたことをたったの二時間で伝えるのなんて自分には不可能です。

その限られた時間の中で
参加される方の年代に合わせて、

自分がそれくらいの年代の時に
何に気づくことが一番大切なんだろう?
って考えたのが昨日の内容であり、実技でした。

気づいて欲しかったことは

患者さんの思いが分かるセラピストになって欲しい、ということです。

そのためには患者さんが経験していることを、
参加者の方に、疑似体験でも経験して欲しかったんです。


患者さんってこんなに大変なんだ…
動きたくても動けないんだ…
自分は患者さんになんて無茶な要求ばかり言ってたんだ…

なんてことに気づいて欲しかったんです。

そしてそのあとの実技で、

あっ!!!
おーーーー!!!

なんて感じたあの瞬間、それが「分かった瞬間なんですね」


でもその

おーーーー、なんて感じは上手く言葉で表現できない人が多いと思います。

「お腹がある、分かる」 とか

おじぎできる?とこちら質問したら

介入前は「無理です!!」と言っていた方が
介入した時に「これならできます」という言葉の変化、

この言葉の変化、の中には
言葉では説明できない
身体の感じ取り、があるのではないかと自分は思っています。

意識、無意識との境界はあいまいですが、

上手くできている時とできていない時の違いは分かります。


健常人では腹圧がある程度働いていて当たり前ですね。
だから普段では意識に上がりにくいです。

脱力をした時、と比べることで
初めて違いが生まれます。

その違いを感じてもらい、良い時の感じを再現するために

どんなことに気をつけてもらうか?を
導くのがセラピストの仕事です。

再現するのは患者さん自身ですね。


そこで患者さんができない時、
患者さんは悪くありません。

こちらが上手く導けていない、のかもしれません。



またアシスタントの後輩からは
どうしたら治療につながるんですか?
という意見がまぁまぁあったそうです。

タイトルに書きましたね。


すぐにできる治療なんてない!!んです。


座れない患者さんが座れるようになるためには、

座っている感じを掴むことですよね。

では座っている感じはどんな感じが必要なんでしょうか?
そのためにはどのような要素が必要なんでしょうか?


一回ノートなどに書いてみましょう!
書きだせたこと、それが今の自分の評価、アプローチができることです。

自分の考えにないことは
見れませんし、アプローチできません。

座るための要素とは?
立つための要素とは?
手とは?
足とは?

移乗動作とは?
歩行とは?


などなど、考えたらキリがありません。

でもそれを考えて、自分の身体を使って感じて、分かっていないと
アプローチにつながらないと思います。


治療にどう使うんですか?と質問される方には

じゃあどうしたら治療に使えると思いますか?と
聞くかもしれません。


それを考えるのは自分たちセラピストの役割ですし、それが仕事だと思います。



例えば座位で一側下肢に体重をかけられない人がいます。
そのため立ち上がろうとすれば反対の下肢と両手を使って立ってしまう。

その方は立つための下肢の使い方が分からないのかもしれません。

それはなぜですか?

例えば膝をコントロールできない、と仮説を立てたなら、
それを検証するべきです。

セラピストが膝のグラグラを止めたら、荷重がかかる。

それなら問題点は膝のグラグラですね。
ここでそれでも変わらないならまた違う仮説を立てる必要があると思います。


でも膝のグラグラが問題だからといってこちらが全部止めていたら
患者さんが自分で膝をグラグラしないようにできるでしょうか?

できる人もいればできない人もいます。

できる人はそのグラグラしない感じ、という経験が分かれば
その感じを手がかりに、運動を起こせる人ですね。

ではできない人、膝のグラグラを止めたら荷重できるけどセラピストが手を離したら上手くできない人の場合には
次の仮説を立てる必要があると思います。

ではなぜ膝はグラグラするのか…

またその仮説検証をします。

といったことを繰り返していくことで荷重ができない根本的な原因に近付いていくことができます。


仮説検証の繰り返しなんですね。

問題となる要素を絞り込めば絞り込むほどアプローチはシンプルになります。


昨日の実技で片方のお尻を椅子から出した人でも、
太ももやお尻を触っておくだけで
空中で左右対称な姿勢で座ることもできます。


自分はアプローチに方法論がありません。

患者さんが座れる!足がある!立てる!なんて経験をできるようになるなら

触るだけでも、言葉だけでもいいんじゃないかと思っています。


アプローチの良し悪しを決めるのは患者さんです。
こっちの頑張りや努力や物知りかどうかではありません。


患者さんの笑顔を作れるセラピストになりましょう!

…もちろんトークで笑わせることではありません。
上手く動かない身体が思いどおりに動く喜びや
やりたかったことがやれる!という喜びで生まれてくる笑顔ですね★


昨日の勉強会では、治療の方法ではなく
患者さんと向き合うセラピストに
自分たちが患者さんに行っていることは
果たして患者さん自身はどんな風に体験しているのか?

に気づくきっかけになれば幸いです!

そして、その気づきはあくまできっかけです。

気づき、そしてその後に自分の頭と身体を使って行動できるか?
がもっと大切です!

動かないと何も変わりません。

一緒に悩んでいきましょう!!


お力になれることはなりたいと思うので、
勉強会やってーとか、
実技やってーなどありましたら

管理人を呼んで下さい★

嫁のお許しが出れば喜んで伺います(笑)





何かご意見やご質問などあるかたがいましたら
コメントやブログ横の”管理人にメール”より
遠慮なくお願い致します!

ASRINでの講演

人は、欠点をそのままでは直せない。
それには、まずその欠点を
快く認めることが必要である。
                
    ジード(小説家)



ASRIN


今日はASRIN勉強会で講演してきました!!


東海地区だけでなく、大阪、富山、和歌山からも参加されたセラピストの方もいたそうです。


参加者110名!!!

そりゃあ緊張します…



自分の勉強会は基本的には公に告知はあまりせず、
東海地区のセラピストを対象にしてやっています。

なので、Bridgeの参加者の多くは参加された友人からのつながりや
このブログに出会って興味を持って参加してくれる方が多い印象です。


ASRINでの告知は
Bridge管理人の名前を伏せて病院名と自分の氏名を載せてもらいました。

Bridge管理人、という一人歩きしている?冠をとってみて一個人として
告知してもらいました。



ASRINはこれまで、毎回多くの参加者を動員する勉強会です。
毎回募集キャパを越え、増員しています。

今回は自分と自分の専門学校時代の同級生の2人。

そいつと
「ASRIN初の定員割れじゃないかしら…」

なんて不安に思い、そうなったら石田先生に申し訳ないな…と
考えていました。


…が申し込みの受付当日に定員をオーバーし、
80名定員を110名まで増やし、打ち切りにしたそうです。

これも主催の石田先生のお力があってこそだと思います。



まぁそんなこんなで今日でした。
基本的に人前で話すのが苦手な自分は、

胃が痛い痛い…(笑)


Bridgeなら失敗しても自分の評価が下がるだけ、
でもせっかく呼んで頂き講演するため、
失敗すればASRINの評価にも響く…
なんて見えないプレッシャーを自分で感じてました。



今回は
姿勢制御における体幹の役割
について講演しました。

発表の2日前に病院の後輩数名に見てもらったところ

………微妙な反応(笑)


ということで、スライドを8割ほど作り直しました。
一日前に(笑)


最近、ブログやツイッターでも書いている
”実感”をしてもらうことが大切だと思い。

患者さんが感じている
身体経験をしてもらう機会を作りながら
プレゼンを進めました。

椅子から片方お尻を出して座ってもらったり、
座位で両下肢をふんばれない肢位にして前方のリーチをしてもらったりと。


うまくバランスがとれなかったり、
グラグラする不安定感を感じてもらい

少しでも患者さんの感じている身体の経験を
参加者の方にも体験してもらいました。


患者の立場に立てるセラピスト

が自分の目指すべきものです。


これはプレゼンにも同様で、
聞き手の立場に立てるプレゼンター

であることが大切です。


リハビリもプレゼンも一緒なんですね。


患者さんや聞き手が

こうゆうことなんだ!!!という
自分の頭と身体を使って理解できるように導くこと
がセラピストにとって大切なことだと思っています。


今日参加された方がいましたら
是非感想をお聞かせ下さい

ブログ横の”管理人にメール”からでも
フェイスブックをされている方がみえれば

友達申請をして頂けるとありがたいです★


では今日はそろそろお休みします!
続きはまた後日☆

管理人の最近のつぶやき

熱中する心がなければ、
この世に進歩はあり得ない。

   ウッドロー・ウィルソン(アメリカ第28代大統領)



最近のツイッターでのつぶやきをまとめてみます。


■ニードは刻々と変化しないといけない


患者のニードは自分の可能性を感じることで刻々と変化する。

患者の要求が変化しない、

ということはこちらの関わりが
患者にとっては意味のないことかもしれないと
反省し、軌道修正をする時なのかもしれない。


自分の身体の変化を実感できることで、
初めて自分の身体と向き合うことができ、
少しずつ具体的な目標や要求が生まれてくる気がする。

実際の状況とニードが大きくずれている方は
自分の身体の状況が分からないから、
ニードが大雑把で抽象的で、
現時点ではすぐには達成できない要求になってしまうのかもしれない。



長期的な目標を提示することももちろん大切だけど、
そのためには今何をすべきか、を具体的に、
そして患者自身が実感できる方法を提示する必要がある。

セラピスト側がその段階的な課題を見据えていないから、
単に立つ、歩くといった
患者自身ができないことをそのままやらせる、という訓練になる。



立てない患者に、立つ訓練をし、代償が出れば、それは違うと言う。

患者は立ち方の分からない身体をフルに使って、
立てというセラピストの無茶な要求に答えようとしている。

それに文句をいう。
患者からしてみたら、
じゃあどうやって立ったらいいか教えなさいよ、ってゆう話でしょう。



自分は運動学習を患者さん自身が実感でき、
再現できることだと思っています。
課題を運でできたりできなかったり、というのはただやっているだけ。
再現するためには何に注意したり、何を感じたりすべきなのか、
が明確でないといけないと思います。




■随意運動と筋収縮の意識…


片麻痺の患者さん。上肢を全力で挙上する方。
反対側は肘の位置を動かす、と確認し、
麻痺側はこちらが肘の位置を握っておくことで
「こうやって動かせば良いんだ!」とおっしゃる。

その瞬間から上肢全体の過剰努力はなくなる。
その方は肘のことなんか気にすること自体に気づかなかったんだと思う。



運動は随意的に筋を収縮させることではなく、
運動肢の空間的な位置の変化やその位置の保持という
身体そのものの感じとりが大前提にあり、

速さや強さ、というその度合いの強さに応じて
どの筋かの選択や運動単位の参加数や赤筋・白筋の参加割合などは
それに応じた付随する結果でしかないと思う。


つまりあるパターンでしか運動を行えない場合、
できない運動方向への運動を起こす筋収縮を促すのではなく、
その運動に付随する感覚の手がかりを与えた方が良い場合がある。

単なる他動運動ではなく、
患者さんが自分で動かしていると実感できるために必要な感覚を探す。



そもそもない運動方向に筋収縮を促しただけでは
運動は上手くできない方が多い。

だってその運動方向を患者さんの身体は忘れてるんだから。

筋収縮とそこから返ってくる関節運動や
接触部の触感や圧の変化が同時に生じることで
初めて自分で動かしたという知覚が生まれるのでないか。



運動に意識的な筋収縮は必要ない。

本当はそんなこと誰だって知っている。
だって解剖学の知識がない一般の方でも、
言葉さえ知らない赤ちゃんでも自分の身体を動かせるんだから。

セラピストは学んだ知識に頼るために、
運動=特定の筋の筋収縮というありもしない呪縛にはまり、

患者さんを混乱させる。



細かい筋活動を意識するあまり全体がぎこちなくなったりする。

ある部位の筋収縮を意識することで
全体が上手くできる人には有効な場合も時折ありますが。



■身体への気づき


脊髄小脳変性症の訪問リハ担当の利用者さん。
一年前は両手で手すりにしがみつかないと、
座ってられず、手を離せば倒れていた。

けど今は体幹、上肢の失調も自分である程度コントロールでき、
今はスプーンで食事をし、
自分でコップを持ちうがいをする。

発症5,6年でも変化することを目の当たりに。


この方は自分の今の身体を感じ取れる。
昔と何が違うかを考えられる。
そこでの違和感を解決する方法を一緒に模索し、
独りでコントロールできることを探す。

依存的な患者さんはリハ中にも
自分の身体への意識が乏しいことが多いように思う。
リハをすると勝手に治る、と期待しているかもしれない…



自分の身体を思い通りに感じ、
動かすためのコツをつかんでもらう、のが自分の役割だと思う。

その身体をコントロールするのはあくまで本人。
患者さんにもそれを実感し、
理解してもらえるよう努力する。

身体に気づくきっかけをこちらは提供する。

それをリハ以外でも自分で行う重要性も伝える。




以上です★

分かりやすいプレゼンに満足しない

現状のままで
化石のように固まっていいのなら、
怠け心に調子を合わせていれば事足りる。
         
      ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者)



更新が滞っております…。


今日のテーマは

分かりやすいプレゼンに満足しない、です。


これは聞き手、そしてセラピストのことを言っています。


もちろんプレゼンは分かりやすいに越したことはありません。

聞き手にとって意味があり、役に立つことが大事ですから。



ですが、セラピストがある勉強会なり、研修なり、先輩とのディスカッションの中で
分かりやすくて良いプレゼン(や説明)だ!!

と思うことは本当に良いことなのでしょうか?


もちろん、悪いことではありません。


でも分かりやすい説明で理解できた!!!

ということに満足していいのでしょうか?



自分が新人の頃、
うちの病院にとある有名な先生が治療のデモにきて下さいました。

ものすごく重度の麻痺の人の手が動いて
すげーーーーー!!!!

と感動してました。


でも何が起こっているのかどうして動くのかは
全くもって???でした。


またその先生の講義は色んな文献を使って
非常に分かりやすかったと思います。

でもその魔法のような治療には
その分かりやすい講義を聞いたところで
全く治療と講義内容を結び付けられませんでした。


多分、その実技と講義が別で
講義だけを聞いたとしたら

分かりやすくて、良いプレゼンだ!

と当時の自分なら思ったことでしょう。



でもその内容が分かったから
その先生と同じレベルで治療効果が出せるか?

と言ったらそれはノーです!


なんでか?

と言ったら答えは簡単です。


その先生は
僕らにも分かるように

講義の内容を

超 手加減しているからです(笑)
(すいません、表現が雑で…)



東大生が小学生1年生に自分の研究内容をそのまま話したら
多分、教室で鬼ごっこが始まりますよね…


だからその先生も
講義では
僕らが鬼ごっこを始めないように(笑)
興味を持つレベルや内容に
手加減、出し惜しみ、チラ見せをして
話しているんですね。



文献何百冊、経験何十年で積み上げられたものを
30分で聞き手に少しでも分かるようにされています。

その先生の持っている容量から言えば
それは0.0000…1%くらいの力しか出していないかもしれません。


教えるのが上手な先生は
聞き手のレベルを掴むのが上手いです。

小学1年生でも分かるように、
そして小学2年生につながるためのヒントを講義では提供していたのかもしれません。


だから講義が分かりやすい!
と満足してもそれはあくまで小1レベルの話しなんですね。


臨床がそんなに簡単なものではないことは
皆さん臨床で苦労して経験しているはずです。


人間なんてまだまだ分からないことだらけだし、
ウェルニッケ野も最近部位が間違っていたことが発見されたし、
まだまだ明らかになっていないことだらけです。

さらに色んな治療法や治療概念が出てきている、ということは
まだまだリハビリにおいて
確かなことは少ないはずです。


ということは治療アプローチなんて
複雑な要素が折り重なって折り重なって
身体機能やら認知機能やら環境の関わりやらが
影響した結果なんですね。


本来複雑なもののはずです。

だから分かりやすい講師の先生の話しを聞いて
満足しても、それはただ入口に立っただけなのかもしれません。


偉い先生の話しを理解できる自分に満足してる
だけなのかもしれません。


逆に分かりやすい説明をされたら

手加減すんなこのやろー!!
くらいのハングリー精神が必要かもしれないですね。
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