2012年11月の記事 (1/1)

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歩行について考えてみる

英雄とは自分のできることをした人だ。
凡人はそのできることをしないで、
できもしないことばかり望んでいる。

             ロマン・ロラン



1月のBridgeの振込のご連絡、ありがとうございます。

まだ振り込んでいない、という方は今月中の振込をよろしくお願い致します。



ということで久しぶりの更新です…
すいません。


今日は歩行について考えてみます。

PTであれば歩行の改善や獲得を全く考えない、という方は多分いないかと思います。

他のADLにも言えることですが、
自立さえすればいいのか?ということに疑問を感じています。

もちろん、自立できないよりもできた方が良いに決まってます。

でもものすごい跛行が出ていて、
本人も歩きにくさを感じていたり、
痛みが出るようであればそれは
改善すべきではないでしょうか?

急性期や回復期では
特に若いセラピストに言えることですが、

自立を焦り過ぎます。


しっかりと立つこともできないのに、歩行の練習を始めます。

2本の脚ですらままならないのに、
片脚での支持、さらに大きな重心移動とその制御が求められる

歩行を行えば、そりゃあ支持しきれず代償が出ます。

そしてなぜかその代償を直そうとします。

その代償とは何で生まれてるんでしょうか?


評価の不十分さと
歩行訓練を繰り返していれば
歩行が獲得されるんじゃないか、という
根拠のない治療プログラムを設定した

セラピストにあるんじゃないでしょうか。


いわゆる跛行や痛みのない/少ない歩行の獲得のためには


立位がしっかり取れること


が大前提になると思います。

その辺に関しては
ブログの荷重感覚、関連の記事をご参照ください。


自分は若き日、
歩行を分けて評価していました。

立脚期:初期接地、荷重応答、立脚中期・後期、前遊脚期
遊脚期:遊脚初期・中期・後期

がいわゆる歩行の相ですね。
間違ってたらすいません(笑)


立脚中期〜後期にかけてお尻が引けていたら、
いわゆる股関節の伸展活動を出す…

みたいなアプローチをしていました。

相に分けることで
各相のイベントからの逸脱を知ることができます。


逆に弱点は各相に分けて歩行を捉えるようになってしまいやすいです。

まるで一つ一つの相を足し合わせると歩行ができるような幻想に陥ります。

その幻想に陥ると、
一つ一つの相の問題をそれぞれ修正すれば歩行ができるような気になります。


でも現実は…そうではありません。


歩行は、というか動作全般は
連続した運動です。

何らかのイベントを分かりやすい部分で
こちらが勝手に分けているのが相なだけであって

動きとしては4コママンガ的なものでなくスムーズにつながっています。

だから例えば立脚中期に問題が生じていても
それはその前の相の荷重応答期の問題が続いているからかもしれないし
その次の立脚後期に実は問題があって
それに対応するための代償的な準備であるかもしれません。
また反対側の遊脚側の問題を代償した結果、立脚側にその問題が見えているだけかもしれません。


連続し、左右の下肢がそれぞれ別の運動をしているからこそ、
その相の前の相の影響を受けるし、
その後の相に影響を与えます。
反対側下肢の影響も受けます。

その悪循環が歩容の崩れとして現れます。

そのループを生み出している問題を見つけるのが
歩行の評価であって、
どれだけ各相それぞれが正常から逸脱しているかを
洗い出すことが重要な訳ではありません。


どんな動作でも
代償の目に見える形ではなく
なぜそのような動きになるのか?
を考えないといけないですね。
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痛みを考える

なんで努力するかわかるか? 
それはな、努力をした人にしかわからねぇんだ。

 ネットでみつけた名言集


発表が遅れまして…

京都大学の建内先生とのコラボ勉強会ですが

3/31に開催することになりました!!

楽しみですね。股関節を真面目に勉強しようと思います



………ということで

昨日、一昨日の二日間、
三重県四日市で東海北陸PT学会に参加、発表してきました。


自分は整形領域で
注意によって
荷重時痛や荷重量、リーチなど立位のパフォーマンスが変化する

というような発表をしてきました。

発表後、
30分にわたりご質問を頂きました。
本当にありがたいことです。

なかにはリウマチ病院のような
整形バリバリの病院の方もおられ、
そのような方でも
機能的な問題だけでは説明し切れない部分も多いんですよね、
と興味を持っていただける方もおられました。

でもなかには
なんでそれで痛みが減るのか
意味が分からないという方もおられました。

同セッションの他の発表や質問でも感じたことですが
解剖学的な痛みで全てを考えてる人がまだまだ多いんだな…
ということです。


世界疼痛学会の痛みの定義でも

「不快な感覚性・情動性の体験であり、それには組織損傷を伴うものと、そのような損傷があるように表現されるものがある」

とされています。

患者さんの訴える痛みは

組織損傷によるもの
+患者さん自身の情動・心理的な修飾
+過度な痛みの予測
+予測的な痛みの防御によるスパズム


が混在したものだと思われます。


この痛みは減るのだろうか?
骨折は治っているんだろうか?
体重をかけると骨が曲がってしまうんじゃないだろうか?
などの不安や、

体重をかける=痛みが増える
関節を曲げる=痛みが増える
動かす=痛みが増える
といった運動の手がかりを痛みの増減により認識してしまう方も
臨床上では目にします。

そういった方では
痛みを探しにいってしまったり
痛みの強さを基準に運動を起こしてしまうようです。

痛みは不快な経験です。

そんなことが続けば
触れたり、動かしたりする
触圧覚や皮膚・筋の伸張など
通常の刺激ですら
痛みとして認識してしまうこともあるようです。

またそんな経験が
さらに予測的に患部周囲や患側全体を
防御的に動かさないよう
過剰に固定し、
それが筋の阻血状態を起こし
痛みも誘発しやすくしたり
スパズミックなまま筋が伸張されれば
伸張ストレスはよりかかりやすい状態になるはずです。

また逃避的な患側肢は廃用により筋力低下を起こします。
それが徐々に荷重などいわゆる良い使い方をすれば
はじめは筋肉痛を起こします。
今まで使えてなかったんですから。
これはいい痛みですよね。

でもこれは誰も説明しなかったら
患者さんは悪いものだと思い、より使わないようにし
廃用を進めるかもしれません。

逆に、
痛みを我慢していれば良くなるものと思って
より過度に自発的にストレスをかけ、
逃避的で代償的なパターンを強めてしまう方もいます。


そんなこんなが混在した状態を
患者さんはひとまとめに

「痛い」

という言葉で表現します。

患者さんはもはや
何が原因で痛いのかも分かりません。

でも痛いんです。


患者さんによっては
炎症期を過ぎ
受傷直後とは痛みの原因がすりかわってしまっていることもあります。

だけど患者さんは
「痛い」ことには変わりありません。

そこを評価するのはこちらの役割です。
痛みの原因が分かり、
痛みへの対処法、痛み時にはこうすれば痛くない
という経験は
痛みへの不安を軽減します。

そういったことでも患者さん自身の痛みの認識は変わります。

それで防御的なスパズムが軽減し
痛みが出現しにくくなり、
良いループにつながっていく方もいます。


ですけど誤解しないで欲しいのは

しっかりと解剖学的な痛みの評価を行なっていること
が前提になる、ということです。


なんかはっきりしないから
これは心理・情動的な痛みだ、とか
勝手に痛いと思ってるだけ…

と決めつけてはいけません。

解剖学的な痛みは
解剖学的な関節運動や
ターゲットとなる筋に伸張ストレスや圧痛により
痛みの再現性があるはずです。

動作時に触診していても
ある部分のスパズムがあるはずです。

解剖学的な痛みは
知識があり
それを触診できれば評価はできます。

それを触診できる能力は求められますが。


そういったことをしっかりと見た上で
痛みの解釈をしないといけないと思います。

と簡単ですが思ったことを書きました。
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