2013年06月の記事 (1/1)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タッチの勉強会を終えて+次回の告知(ブログ最後)

東海4県から40名のご参加誠にありがとうございました。


ご参加された方で、
感想を下さった方には

私が他院にて発表した
「運動学習とタッチ」のPDF資料を差し上げます★

資料をご希望の方は…

****資料希望の方****
・ブログ左の管理人にメールより
・メール:必ずパソコンのメールアドレスを記載
・件名:資料希望
・本文:氏名と勉強会の感想を書いて下さい

**************


資料あるなら先に配れよ!って話ですよね(笑)

ちゃんと理由があるんです。
(くれぐれも忘れた訳ではありません)

先に資料を見てしまうとそこに書いてあることだけを
やろうとしてしまうかも?と思ったからです。

資料があるとそれにとらわれます。
書いてあることから考えてしまいます。
資料は自分の知識と経験を基にしたもので
そこに書いてある言葉は、自分の臨床の中のほんのほんの一部です。
言葉は誰にでも通じるようで、
その言葉をどう解釈するか、できるかは読み手の力量にも左右されます。

カッコイイ言葉を使って説明できるよりは
実際に実技で受け手が「おー」と感じられる方が
臨床家、としては良いと思っています。


そのために資料は配らず、
自分の思いを自分の言葉に出すための
練習になればと思って配りませんでした。


ではでは
昨日の勉強会で自分が考えていたことや感じたこと、を書こうと思います!


今日の午前中のグループワークで
午後に各グループでやりたい実技のテーマを決めてもらいました。

大変でしたよね。

も少し、これについて!とテーマを絞っても良かったかと反省もしていますが…

でも
なんで大変だったんでしょうか?

別に皆さんの力がない、ということではありません。
皆さんは毎日臨床して、何かしらの変化や効果を出しているはずですから★

色々考えているはずですし
色々悩みを持っているからこそ
わざわざこのチンケな勉強会にまで来てくださっているはずです。

問題意識や向上心は持っていますよね☆

なぜ大変だったのか、その理由がこの記事を読んで少しでもすっきりとすると幸いです。

では一昨日の勉強会で自分が意図したことは…


①自分の臨床における理想像を思い描くこと
②自分の考えを言葉にできること
③他人から自分にはない視点に気づくこと
④お互いの共通点を見つけること、違いを認めること
⑤臨床においては教科書的な用語を知っていてもあまり役には立たないこと
⑥やる方の意図は受け手にそのまま伝わるとは限らない、というかほぼ伝わらない
⑦セラピスト間での実技(健常人同士の実技)の意味


といったことを感じたり、気づいて貰えたら良かったな、と思います。


多くの若いセラピストが「どうしたらいいのか」「臨床でどう使えるのか」といった
ハウツーを求めます。

もちろんそんなのあったら僕も知りたいです。

でもそんなのあったら本になっているでしょうし、
学校でそれを教えたらいいんですよね。

そんなの…多分ないです(笑)


ということで
①自分の臨床における理想像を思い描くこと
です。


勉強会でも話しましたが、

問題点というのは

理想像と現状(患者さんの臨床像)との差なんですね。

どんな理想像を描くか?によって評価する項目、見る視点が決まります。

理想像が曖昧であれば、評価も曖昧になります。

理想像が見た目だけのものになれば、
評価も見た目だけしか気になりません。

そこには知識も経験も必要かもしれません。

でも理想像が低ければ
問題点も見つかりません。

歩行自立、が理想像であれば
代償とか、正常から逸脱した何かがあっても
問題視されず、歩ければいい、ということになります。

歩行自立、といっても
どう自立するのか
患者さんの不安感やどう歩きたいのか、何のために歩きたいのか
と言ったニードを無視すれば
ただ歩行の訓練をするだけになってしまいます。

解剖・運動学的な要素
神経科学的な要素
痛み
不安などの心理面
患者さん自身の感じる主観的経験

など色んな側面から
理想的な歩行って何?を考えることで
色んな要素が絡んでくるはずです。

理想像、は1つではありません
患者さんに応じても変わるはずです。

でも共通した何かはあるはずです。

そしてそれは臨床を通じて常にアップデートされるはずです。


自分の今の理想像があったとしても
それだけでは十分な結果や変化が得られない患者さんに出会います。

例えば見た目はすごく良くなっているのに
患者さん自身はそれほど満足していない場合です。

その差は何なのか?
そこにヒントがあるはずです。

それは患者さんの価値観だから…
と片付けずに
そこに問題意識を持って向き合うことで
何か今までになかった視点や
今まで考えていた別々の要素がつながったりします。

そうして理想像もさらに良いものになっていくはずです。



②自分の考えを言葉にできること


そしてこれです。頭で考えるだけではダメなんです。

それを言葉にできることが求められます。

以心伝心なんてほぼありえません。
あったら下衆なことばかり考えている私に友達はできないことになります(笑)

何年も毎日いっしょにいる嫁ですら以心伝心できないのに(笑)

言葉で全ては語り尽くせません。

が言葉は思いを形にするツールです。


自分の思いを伝えるためには有効です。

患者さんに自分のリハビリの目的や課題の意味を伝えることは大事です。

何のためにやっているのか
これが何の役に立つのか
この課題では何が◯で何が×なのか

これが明確でないと
患者さんは何に向かってリハビリをするのか分からないかもしれません。

昨日の実技でも
受け手の人が
何やられてるか分かりません、パニックです。

と言っている人がいました。

まさにそれです。

目的のない誘導は受け手を迷わせるだけです。

それで学習せいと言われても…という話です。


それを伝えるためには自分の理想像、目的をしっかり考えておく、
そしてそれがどうゆうことかを説明できるようにする、ことも大切です。



③他人から自分にはない視点に気づくこと


そしてグループ討議の目的であり、この勉強会の目的でもあります。

どうしても自分の考えは
働いている病院や施設に何となく良いと言われている考え方や
自分の尊敬しているセラピストの考え方
自分の興味のある分野

に偏ってしまいます。それが良いとか悪いとかではありません。
自分の出会ったことや知っていることでしか
解釈できないんですね。

でもそれって思ったよりも狭い世界なんだと思います。

自分の病院の考え方って本当に一番良いの?
もっといいのあるんじゃ?

ってゆうのを知る機会になるといいなと思っています。

同じテーマにしても、そこで出てくる考え方や解釈の仕方は多様です。
まずはそれを知ることです。


④お互いの共通点を見つけること、違いを認めること


そんな討議の中でも
意外に悩んでいることが一緒であったり、
逆にそれは違うんじゃ?なんてこともあったりすると思います。

違う時は違う!といったほうがいいです。Bridgeでは。

勉強会中にも言いましたけど
悪く言えば、今後会わないかもしれないんだから思ったこと言えばいいじゃん!と思います。

ケンカになるくらい議論すればいいんです。
殴り合いになれば止めます。

それ違うんじゃないの?
って言われた時に、自信を持って言い返せるか?
言い返すための根拠を自分なりにもっているか?

誰にも違うんじゃないの?と言われなかっただけで
それが正しいという根拠は何もないかもしれません。

そこに気づかせてくれるのが他の人の視点ですね。

同じだから良い、違うからダメ・この人とは合わない

ってゆうのじゃないんです。

多数派が正解だ、という訳でもないですよね。
臨床をしている人なら分かるはずです。

共通している部分もあるけど、
細かいとこまでみたら同じ患者さんもいないように
セラピストも同じ考えの人なんていないですよ。


だから他の人のイイトコ取りして
自分なりにアレンジして
自分の理想像を作っていくことも大切だと思います。

一人よがりは危険ですよ★

そして遠慮なく突っ込んでくれる仲間を持つこと、
言ってくれることに感謝できる大きな心が大事です

とか言いながら突っ込まれるとアタフタしますけど、私(笑)

でもアタフタする、ってことはまだまだ自分の考えが浅いだけなんでしょうね。



⑤臨床においては教科書的な用語を知っていてもあまり役には立たないこと


理想と現実の差が問題で
その差を埋めるために「課題」を行う

とお伝えしました。

理想に向かっていくためにリハビリをしているはずですから。


対セラピストに対して説明する時には専門用語や教科書に載っている言葉は共通用語として役に立ちます。

でもバランスが良い、関節の安定性が良い、恐怖感がない、協調性が良好…

こんな言葉を理想像に入れてしまっても評価も課題も提示できませんし、効果判定もできません。


実際の臨床では

具体性

が大切です。先ほどのようなかっこはいいけど実態の分からない言葉を使ったとしても患者さんの抱えてる問題は何も解決しません。

じゃあバランスが悪い、ってゆうのは何をもって言うのか?

何がどうなればバランスが良くなったと言えるのか?

そこに具体性があれば

課題も具体的で目的が明確なものに少しでもなるはずです。

自分の使う言葉を自問自答してみて下さい

そしてそれはどうゆうことなのか?いつも考えて下さい。

それができれば患者さんや家族、他職種、後輩に分かるように伝えられます。

相手に伝わらないのは、実は自分がよく分かっていない、だけかもしれません。

そしてその答えは教科書にはありません。
教科書には共通用語しかありません。

そこに自分の知識や経験をおりまぜて解釈して、生まれてくる言葉が

みなさん、それぞれの生きた言葉になると思います。

同じことを説明するにも、ベースが違えば説明の仕方は違うかもしれません。

でもその背景にある本質が一緒であれば、それで良いと思います。



⑥やる方の意図は受け手にそのまま伝わるとは限らない、というかほぼ伝わらない


上で説明した、用語だけじゃ意味がないにも共通しますが、曖昧な言葉を使っても曖昧にしか伝わりません。

しかも同じ言葉の解釈は人によって違います。

「恋愛」

この言葉を聞いた時、同じイメージの人はいないですよね。
良いイメージの人もいれば、悪いイメージの人もいます。
そして良い人たちでも何で良いイメージなのか、その理由は違いますよね。

だって経験してきたことが違うんですから。

患者さんに触れ、誘導する時も一緒です。

こっちの触れる目的と触れられた側が感じることがズレることはよくあります。

だから思ったような変化が出ないんですよね。

その差が少ないセラピスト
つまり
患者さんの刺激の解釈を理解し、患者さんに良い行動を生み出すための刺激を見つけ出し、反応を出せる

というのがいわゆる上手な人だと思います。

それが上手になるためには
患者さんや受け手が出す色々な反応

力が入る
力が入ってこない
触れた部分と違う部分が動く

などなど触れることで何かが変わります。

その様々な反応はなんで起こってるんだろう?というのを
悶々と考えることだと思います。

同じ目的で触れてもAさんとBさんでは違った反応をします。

同じ刺激でも
Aさんはこう感じるんだろうか?
Bさんもそうじゃなくてこう感じるからこんな反応をするのかな?
なんてことを色々考える訳です。

そうすると
自分の触れること、というのは相手にとってどんな意味があるのかとかを知るきっかけになると思います。
そこに答えは1つではありません。
その多様性を知り、それを相手に合わせて使い分けられるようになることが上手いセラピストになることなのかな、と自分は思ったりします。

臨床では患者さんに聞けば良いと思います。

患者さんは自分の狙ったことを感じているのか?聞けばいいと思います。

でも聞くためには自分は何を狙っているのかが説明できないといけないですよね。

だから理想像がいるんです。



⑦セラピスト間での実技(健常人同士の実技)の意味


やっと最後です(笑)

セラピスト同士の実技に何の意味があるんだ?という声を聞くことがあります。

感覚もいいし、いわゆる障害もないじゃないか?

僕もそう思います。

でも逆にその人に対して狙った反応を出せないのであれば何らかの障害を持った患者さんに反応を出せるのか?と思うんですね。

しかもセラピストは解剖や運動、支持面とか姿勢制御とか小難しい専門知識もあります。
骨盤に触れられれば骨盤の動きをイメージしたりして動かせます。
少なくともそういった勉強をしていない方よりは…


そのセラピストに対しても反応を引き出せないのであれば
実際の解剖学的な運動を知らない人にどう反応を引き出せるんでしょうか。

逆にセラピストはその知識があるために
それに当てはめて動かそうとしてしまうかもしれないので
知識そのものが自然な動きを妨げることもあるかもしれませんが…

皆さんが学生となる前の自分がリハビリを受けたらどう感じるんだろう?なんて目線で考えてみてもいいかもしれません。

自分の親にリハビリをするようになったら、と考えてみてもいいかもしれません。

そこで必要なのは専門用語で何かを説明することではなく

患者さん、受け手自身の経験がどうなっているか、です。

僕らが患者さんを変えてるんじゃないんです。

患者さんが変わるためのきっかけを触れることを手がかりに作っているだけなのかもしれません。

患者さん自身が感じなければ
リハビリが終わった瞬間にできなくなります。

一人でもできるようになるためには
一人でどうしたらいいか?が身体を持って分かることだと思います。



話がそれました…


患者さんは専門的な知識がない方がほとんどです。

自分の身体で何かを感じたとしても
それが良いのか、悪いのかすら分からないかもしれません。

すごくいやーな感じがあったとしても
リハビリの先生がやってくれてるんだから、
これが正解なんだと思ってしまうかもしれません。

明日からもリハビリしてもらわないといけないから…と
気を使って否定的なことは我慢しているだけかもしれません。


でもセラピスト同士なら言えば良いんです。

言ってあげることで

やる側の人は自分の触れることが
思っていたこととは違うんだ、ということにも気づきます。

受け手の人も
患者さんって実はこんな風に感じるんだ、ということにも気づけますよね。

実は自分、患者さんにとってものすごい難しいことをしていたんじゃないか
患者さんが倒れそうで怖い、傾いてる感じというのを作っていたのは
セラピスト側なのかもしれないな、なんて感じてもらえたら
幸いです。




そして今年のBridgeはこれらの部分を大事にしていきたいと思っています。

実践能力の成長ですね。

実技の練習はもちろんしますが、

実技の前に、その目的や理想像をある程度明確にしていくこと。

何のために実技をやるのか?が明確でないと
結局はハウツーになります。


でもその理想像は一人で考えるのが難しいから
グループ討議で同年代、近い年代のメンバーで考えていく。

そして実技を通して自分の介入の意味と受け手側の経験を知る。


Bridgeでは答えを教えられません(笑)

答えは幾つもある、というのが自分の今の答えです。

その多様性に触れ、自分は何ができるのか?を一緒に模索できる勉強会にしていきます。


またブログにアップしますが、

次回の勉強会は

8/18(日)
時間、会場は今回と同じです。


そしてテーマは………

「寝返り・起き上がり、時間があったら立ち上がり」です


今回同様、同年代(+1年上の年代のセラピストをファシリテーターとして配置しようかと考えてます)のグループ討議、実技を行っていく予定です★

近々ブログにて参加受付いたしますので、参加しようかな?とお考えの方はスケジュールをご検討下さい★

長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました!
スポンサーサイト

明日の勉強会は10時からです!!

明日の勉強会にお越しの方へ

開始時間と場所をご確認の上、
実技のできる服装でお越しください!

注 事前の配布資料はありません!



6/29(土)

10:00〜16:30

刈谷市中央生涯学習センター(刈谷市総合文化センター内)

401会議室

テーマ:

運動学習のためのタッチ

私は麻痺を治してはいない

あなたの話は誰も信じてもらえないかもしれない
でも、あなたの行いは、誰もが信じることでしょう

ルイス・キャロル イギリス出身の作家。詩人。



どうもこんばんは。

「上縦束」で検索するとたまにWikipediaの下あたりにこのブログが登場する

Bridge管理人です。


まぁそんなことはどーでもいいんですが、
たまには真面目に書きます。



来月にASRIN様より、講演の機会を頂き、
小脳についての講義、配布資料を作るため色々文献やら本やらを読んでいます。


まだまだ自分も勉強中ですし、参加される期待にそえるものになるか分かりませんが、
自分が臨床を通じて思うこと、感じること、調べたことを形にできればと考えています。



今回のブログの内容はその資料を作る中で、自分の脳卒中に対するリハを振り返る機会になりました。


その思う所をまとめようと思います

が、上手くまとめられるかは分かりません…。


時間を持て余して、暇だから見るか、くらいの気持ちで読んで下さい。


大半は私見です。自分の勉強不足により間違っていることや説明が上手くできない、足りない部分もあると思いますがご容赦下さい。
中途半端な輩の戯言だと思って頂ければ幸いです。


脳科学の本や論文が多く出ています。
自分は英語はなかなか読めませんので日本語のものがほとんどですが…

fMRIなど脳イメージング技術の発展により
この領域はこれこれこうゆう条件で活動するため、あれこれそうゆう機能があると示唆される。

こんな感じで細かく様々な領域の役割が明らかになりつつあるようです。


またそうしたイメージング技術が開発される前には
ある症状を呈する患者が亡くなったあと解剖するとここの部位の損傷があった。
だからこの部位が損傷されるとこうした症状が出る、といった具合に損傷部位と臨床症状の解釈が行われていました。


自分が学生時代からも高次脳機能障害の機能局在は言われていましたし、今も言われているのでやはり障害部位と症状は関連性があるのでは?と思います。


では脳の知識はどう役立つのでしょうか?

画像を見ることで患者さんの症状の理解ができるかもしれません。

血腫の大きさや部位により予後予測に役立てることができるかもしれません。



ではこれらの知識はリハビリにとって役に立つのでしょうか?


本来の役割を果たすべき部位がダメージを受けたことで何らかの症状が出ます。

その部位の脳細胞が元に戻ることはありません。多分。

ではその役割を再獲得できるのでしょうか?

この問いに対しては私は自信を持ってyesともnoとも言えません。


毎日の臨床で障害された部位やネットワークを使っているかは分からないです。


でもリハビリを通じて何かしら変化をすることは多く経験します。

脳の中が実際にはどうなっているかは分からないけれども、見た目の行動を変えることはできるかもしれないと思っています。


小脳では障害された範囲が大きいほど運動失調の回復は悪いと言われています。
機能代償することができない、と言われていますが、残存部位の機能代償も実は仮説レベルで実際に証明されていないようです。自分の調べた範囲では…


脳の部位における機能を知っていれば評価でその部位の果たすべき機能が残存しているか評価することができます。

残存しているのであればその機能の活用を考えることができるかもしれません。
残存していないようであれば、他の代償手段や環境調整など他の戦略を考える必要があるかもしれません。



そしてここでタイトルです。


私は麻痺を治してはいない、です。


それは自然回復かもしれないですし、

リハビリによって変化をしたとしてもそれは評価以上に患者さんの残存能力、潜在能力があったのかもしれません。

実は他のネットワークで新たに生まれた機能かもしれません。


では視点を変えます。

上肢の麻痺があった場合に、手指のアプローチを行った結果手指の随意性は向上したとします。

運動機能回復です。nudoの研究などで脳梗塞後、損傷した領域の局在がリハビリによって拡大することは知られています。

しかし肘や肩の随意性は上がらず、手指しか動かない。

その患者さんの生活にとっては何の得もない。

これは良いのでしょうか?疑問が残りませんか?


動かない部分が動く、これも大切なことです。

ただヒトの身体はそれぞれの部位の寄せ集めではないので
それぞれの部位が動くイコール全体として勝手にうまい事機能する訳でもなさそうです。


でもそれが生活につながらないのであれば、またいずれその機能は使われずに低下してしまうのではないでしょうか。


麻痺、動かないことも問題ですが、そのことが引き起こしている生活の影響や制限にも目を向けていないと患者さんの生活には何の役にも立たないことをリハビリとして行ってしまう危険性があります。


だからこそ患者さんのニード、訴えを知らないといけないと思います。


また十分な運動機能回復が得られなくても、ニードである趣味や家庭での役割、復職などが可能なレベルにつなげることも大事なことなのかな、とも思います。


もちろん改善が期待できるものはできるだけ改善すべきでしょうし、そのために文献などから情報を収集することも大切です。

でも同時に患者さんの退院後の生活、退院までの期間を見据えてADLについても考えながらリハビリを進めていく必要があると思います。



私は臨床では脳がどうこう、ということも気にしますがそれ以上に行動の変化を大事に臨床をするようみ心がけています。


また脳のことを知っていれば残存部位における機能を活かし、障害部位による影響に配慮しながらリハビリを進めるとができるかもしれません。


注意や記憶に問題がある患者さんであればこちらの声かけや触れ方、注意の配分能力に合わせた課題の内容も考慮して提案できます。

脳科学を知っておくことで患者さんに優しく、意味のあるリハビリが提供できる役に立つのかな?と考えています。

タッチの勉強会の内容を考えてます①

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。

しかし、行動したというそのことが重要なのである。

Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.


               ガンディー



参加者の方に

どのような実技を行いたいか?

臨床において何に悩んだり困ったりしているか?


といったアンケートをお送りしました。


多くの方のご返信、誠に感謝いたします。



色々、ご意見がありまして本当に自分自身参考になります。




多かったご意見を挙げてみます。
とりあえず1つ。

時間があったらまた次回のブログで書きます★


起居、座位、立位、立ち上がり〜着座、歩行といった基本動作と姿勢制御と動作の誘導

やっぱり知りたいですよねー、方法論、ハウトゥー系…(笑)

ただ皆さん実はお気づきかと思いますが、誰にでも通じる動作誘導であったり、パターンがあるわけではありません。

見た目の関節運動や重心移動などのイベントを考えておくことはもちろん大切です。
でもそれだけで動作を介助したり、誘導しようとすれば

起き上がりを例にすると
患者さんの反応がないのに、セラピストが全介助で強制的に見た目だけが起き上がりのような動きになる。

これは患者さんが起き上がる、という反応を引き出したりしているのでしょうか?

自分たちの関わりの意味は、

患者さんを起き上がらせる、ことなんでしょうか

時と場合にはそれが必要なこともあると思います。起き上がらせたその先(座位やそのほか)に何か目的がある場合には。



自分としては

患者さんが(楽に)起き上がるのはどうゆうことなのか、体験できる

患者さんがこうしたら(自分で)起き上がれそうだ、という予感(予測)がする

起き上がることを嫌な体験にしない

こういったことができるために関わりたいと思っています。


起き上がりや立ち上がり、といった姿勢の変化につながる動作では、
(起き上がりでは臥位から座位、立ち上がりでは座位から立位)

その動作自体が嫌なものになってしまうと
その次の座位や立位といった機会すらも奪ってしまうことになります。

起き上がりが嫌ならベッドサイドで起きることすらできない
立ち上がりが嫌ならベッドから出ることすらできない

それはまた廃用を生み出し、患者さんの動くことの自信を奪い、さらなる悪循環を生むかもしれません。

また、逆に考えてみると
座位、立位姿勢が上手く取れない、または取れないと思っている可能性もあります。

起き上がりのゴールである座位、それが患者にとってどのようなことか分かっていないなら、その準備動作である起き上がりも上手く行えません。

歩行でも同じです。荷重に対して自信がなければ、患者さんはお尻を引いたまま、足だけを前に出し、足の裏がついたのを確認してから、時間をかけて体重を載せようとしたりしますよね。

ゴールが分からないのに、どこに向かって運動を起こしたらいいのか分からないのかもしれません。


起き上がりであれば

リラックスして寝た状態からリラックスしたまま起きる訳ではありません

上半身を持ち上げ(空間保持と制御)、さらに座位がとれる準備をしながら
そのまま座位保持制御に至ります。


全介助で起き上がらせられた患者さんは座位も自発的に保持・制御しておらず、重力に負け、つぶれたような姿勢のまま座位をとって?(とらされて?)います。

臥位➔起き上がり➔座位

のイベントがつながらず、それぞれの姿勢、動作がバラバラですね。


自分は

臥位➔起き上がる準備➔起き上がり➔座位となる準備➔座位

が連続し、つながった1つのイベントとして起こっているようなイメージです。


はい、分かりにくいですね(笑)


当日、実際に実技を通じて皆さんと経験していきたいと思います!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。