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自由と代償

自由とは
世界における
我々の存在の仕方の選択である

(Merleau Ponty,1962)


いつやるか分からない、
冬の大勉強会に向けて資料作りです。

なんでやってるかって?!

モチベーションを下げないようにです(笑)


ということで
真面目にメルロポンティです。

この方はフランスの哲学者で
身体についての哲学、現象学を
考えてた人のようです。


それはさておき、
初めの御言葉
1962年に発表されているんですね。

ウィキペディアでは
1961年に亡くなっているらしいんですが…

1960年代にこんなこと考えてる人が
いるってことがすごいです。


ということで
今回は運動について書こうと思います。

患者さんは運動の自由度を失っていたり、
積極的に減らしていたりします。

その結果、
人生における自由度も制限されているのだと
思います。

単なる運動の制限ではなく
それによって
ADLといった生活や
外出や趣味などの
人生の自由も制限されてしまっています。

PTであれば本来の運動の改善を
OTであれば生活や趣味ができるよう環境や方法の改善を

時には両方向からアプローチしているのだろうと思います。

今までとは違う方法でも
充実した人生が送れるようになる
そしてその方法を患者さんが知り
選択肢の一つとなるよう手助けをする

ことも大事ですよね。


代償を作らないように運動を制限し
人生の自由度をある程度減らすのか

代償があっても
道具などを導入しながら
人生の自由度を増やすのか


これも患者さんの選択だと思います。


患者さんはどちらを望んでいるのか?

によってこちらから
提供するべきリハは変わってくるはずです。

代償を嫌うのは
セラピスト側だけではだめですよね。

代償のdemeritを知っても
代償がありながらも
生活の自由度を増やすことを望むのであれば
その意向にそってリハを提供すべきでは
ないのかな

なんて最近は思います。

それもこれも
訪問に出て
実際の生活を見ると強く感じます。


自分の担当している
SCDの患者さんは

家のなかを
体育座りで手をついて
お尻を浮かせた状態で移動します。

そりゃあもう最初は
びっくりしました。

わぉ!!!

と思いましたが

これはこれで
体幹失調の影響で
立って歩けば転倒してしまう
からこそ
重心を低くし、さらには疲れたらすぐに
休憩できる、ためのスタイルなんだと思います。

この方に
歩行を獲得するための
アプローチは必要なのでしょうか?

もちろん全身の持久性や
体幹・下肢の伸展筋の活動を
維持するためには必要かもしれません。

でも歩行の獲得が目的ではないはずです。


歩行を犠牲にして(犠牲、という言い方はあてはまらないかもしれないですが)
この方は自宅内の自立した生活、を送っています。

考え方は色々あります。

患者さんの視点に立てるように
自分はなりたいです。


運動、ADL=歩行ではないですね。
うちの親父もアキレス腱切った時は這って
移動してました。

もちろん
歩行の獲得が期待できる方は
歩行の獲得を目指さないといけないですが。

そこもセラピスト側の”自由な”発想が求められてくるんでしょうね。
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コメント

No title
障害を受容する、ってゆう捉え方が難しいよね。

機能回復する可能性をあきらめて
障害を持った身体で
いかにより良い生活をするか?
というのも一つの方法だし、

ただ回復を諦めてしまえば
そこから身体イメージの改善はなかなか
難しい印象も持ってます。

だから
現状でより良く生活する方法は
前提として獲得しつつ

以前の機能の再獲得を目指していく。

ということも考えていかないといけないし、

患者さん自身も同じ方向を向いていかないといけない。

色んな背景因子があるから
なかなか思い通りにいかない部分もあるけれど

まずは患者さんが現在
自分の抱えている問題を
どう捉えている?
を患者さん自身、セラピストの両方が
知らないといけないんだろうね★
No title
管理人さん

おっしゃる通り機能回復を望む方にはしっかりと機能回復訓練を提供する必要がありますね。
機能回復を心底願っていない患者さんはいないと思っています。

機能回復に導く前提として、機能回復どころじゃない精神状態・社会的背景の方とココロを共にする巧さを身につけねば、と難しいケースではよく感じます。
No title
佐藤先生:

そうなんだよね~。もちろん機能回復によってその不安を解消するのも、またリハビリそのものが目的である人もいるよね。
もちろん、依存的になってしまうのも問題かもしれないけど、そうしないと何もしないのであればせめてリハビリをする、という目的があるだけでも素晴らしいことかもしれないよね。

ただ、機能回復を希望されている人には、しっかりと機能回復に導く治療展開があったこそだと思いますが。
患者さんにとって必要な事をほんとにできているのかいつも考えなければなりませんね。
僕も受け持っている外来さんでいくつかの病院で「原因不明」と言われてきた方がいます。
屋内生活では小股で歩けていて屋外は車椅子。
ニードは「リハビリがしたい」ということで、前任のセラピストからずっと両杖でのいわゆる普通の歩幅の歩きをリハビリ時間にしています。
最初は「なんでこの病態でこの訓練プログラムなの?」
と思いましたが
身体に対する不安が多く、生活の一部として「リハビリの時間に杖で歩く」ってことがこの人の生活の支えになっているのでは、と今は考えています。

機能回復は難しいけど機能回復以外も難しいですね。

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