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健常者であるが故の落とし穴

物事には、
これでなければならないというものはない。
それが正しいことならば、
これまでのやり方を変えたっていいんだ。
             
      飯田亮(セコム創業者)


良い言葉ですね。
まさに今のリハにあてはまるんじゃないでしょうか。

これまで正しいとされてきたことが
覆されつつあります。

様々な解析機器のおかげさまで。

そしてまだまだ
人間には未知の領域もあります


新たな知見とともに
またリハも変わっていかなければいけないでしょう


ということで
今回は健常者であるが故の落とし穴、
について簡単に話そうと思います。

今日、病院の勉強会で
研修の伝達がありました。

そこで予測的姿勢調節についての話しがあったんですが
うちはこれに疑問があります。

上肢の運動の前に腹横筋の先行的な活動がある
など、ある動作の前にはその動作の準備として
姿勢保持筋が先行して、
また動作中にも姿勢の安定を保つために
姿勢調節が行われている。

というものです。

言いたいことは分かります。

それが健常人であればね。


CVAをはじめとする
姿勢保持の戦略に問題を抱えている人は

その予測的な姿勢保持ができない
ことそのものが問題であったりします。

姿勢制御や姿勢調節といったものは
基本的には意識下で遂行されており、
行為をしている時には
意識に上がるものではありません。

姿勢調節に限らず、
四肢の運動においても
予測は必要です。

健常人でも意識には上がらなくとも
予測はしています。

簡単にいうと
歩ける、と知っている
(予測できている)
からこそ
歩行という手段を使うんですね。

健常人では当たり前すぎて
毎回
”歩こう!!”
なんて意識しなくても
さも当たり前に行っているんでしょうが。

坐位や立位の保持でもそうですよね。

さも当たり前のように
うちらはできます。

でも患者さんは必死にそれらを遂行しようとします。


なぜなんでしょうか?


坐位や立位の
保持ができるための基準
を失っているからではないのか

とうちは考えます。

普通は
視覚情報でも
前庭系の情報でも
座面の情報でも
座っている・立っていること
が認識できます。

でもうちらは
それぞれ個別に毎回意識して
確認はしないはずですよね。
各種の感覚が同時に処理され、

ある人は視覚情報が変化しなかったり
ある人は前庭の情報から頭部が激しく動いていない
ある人は支持面と接触している部分の圧覚が
大きく変化しない、

なんてことで認識しているのかもしれません。
普通はそれさえも意識に上がらず遂行しますが。

この健常、といわれる自分の感覚を
答えだと思って患者さんに接しても
患者さんは同じようにはできません。

各種の感覚の関係性そのものが崩れているので…

自分たちは
言語を十分獲得する前に
姿勢調節を獲得します。

1歳くらいには歩行が自立してきます。

でもこれは
言語的な学習というよりは
運動感覚に基づいた学習
だと思います。

自転車の乗り方や車の運転の感覚
というような
言語化しにくい
感覚

じゃないでしょうか?


本来は意識することなく
また言語的な解釈によって学習することのなかった
姿勢や運動の調節の戦略を

成人になり、何らかの障害を負ってしまうと
そこから再獲得しなければならなくなります。


運動学習には
意識して注意を集中する時期から
運動が上達することで
徐々に自動化、
すなわち意識下の制御に変わってくると言われています。

最初は何かしら意識して
学習する段階があるんですね。

ただ患者さんはこれを生まれてから
一度も経験していません。

だから大変なんだと思います。

課題志向的なアプローチでも
先行的な姿勢調節反応が
残存している患者さんでは

課題志向的な方法も良いかもしれません。

でも課題によって
先行的な反応がない方には
姿勢調節するための
”基準”を作るようは
治療展開も必要なんじゃないでしょうか?

うちは意識させながら行うことが多いですが。

何か良い方法がある先生がいましたら
是非教えて下さい!
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