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最近のつぶやき まとめ

やさしい言葉は、
たとえ簡単な言葉でもずっとずっと心にこだまする。

   マザー・テレサ(修道女)


最近、ツイッター…大活躍です。

自分の考えを思ったままつぶやけるので、
常に妄想している(笑)自分にはすごく都合のいいツールです。

ではでは
最近のつぶやきを
まとめときやす★


長いので本当にお暇な人だけご覧ください★

管理人の私見ですので
正しくないことも多々ゆうてる可能性があります!


【シンポジウムを終えて】

痛み、セラピストが痛みをとるだけではダメ。
それだけではセラピストに依存してしまう。
患者さん自身が痛みと向き合い、理解し
自分で解決、日常のケアができるように関わることが大切。


患者さんの喜ぶ顔が見られる関わりを。簡単そうで深い。
そうゆう顔が見られるのはやはり患者さんの抱えている問題と
こちらのアプローチがピンポイントにマッチし
改善が共感できた瞬間だと思う。


デモはやはり難しい。
実際にやっている人の感じ取っている身体や重心、
筋緊張のわずかな変化、は見ている人には非常に伝わりにくい。

見たり感じる能力にも差がある中で全参加者が分かる説明、
今の自分にはそれができないかもしれない。
少人数なら可能だろうけど。


課題の設定から、立ち位置、触る部位、触り方、触る強さ、
声のかけ方やタイミングが
その瞬間瞬間の患者さんの変化の中で流動的に切り替えている。
上手く言葉にできないことが多々ある。
でもそれを何かしらの方法で若い子に伝えることができると、
若い子にその大切さが伝えられると思う。


シンポジウム、感じたことはそれぞれに言葉の解釈にズレがあること。
言葉はそれまでの体験に基づいて意味付けされるから。


次のBridge実技祭は自分が何をどう見て、
それをどう解釈してどう検証してどうアプローチしているか、を
半日かけて皆の前で被検者を出して提示しようと思う。


勉強会、参加してくれるセラピストのために知識を臨床につなぐ役目を果たしたい。
そのためにはまずは自分の身体で体験しないといけない。

自分の身体ですら分からないこと、を専門知識のない患者さんにどう伝え、感じるようにするのか。
まずは自分自身の身体で体験すること。

次に参加者にも体験してもらうこと。
同じことをしても人それぞれに体験、意識経験は違う。
それを知ることも大切。
自分の身体だけを基準にすればそれは押し付けになってしまう。


膝がしっかりするとはどうゆうことか、
体幹が上手く働いていることはどうゆうことなのか、
荷重が上手くいっているとはどうゆうことなのか?

参加者自身が感じられるようになってほしい。
5-7年目のセラピストが若いセラピストに感じてもらえるように関わる。
次に若い子同士で比較し、修正する。


自分の中でいい感じ、が分からないなら、
患者さんがいい反応をしてもそれに気づけないかもしれない。
まずは皆それぞれが自分なりのいい感じをつかむこと、
それを上の年数セラピストが体験できるよう促す。

若い同士で困っていれば助ける。その中で上も下も一緒に成長する。


上手くいく、感じることの喜びを感じる。
それがあって初めて知識の重要性が分かる。

勉強することの意味が生まれる。





【下肢装具】

下肢装具の必要性、もちろん大切。
ただ装具は退院後自宅で使用する頻度は激減する。
お風呂はもちろん、ちょっとトイレ行くだけなら手間からつけない人も多い。
装具がない状態での動き方も患者さん自身が
理解していないと自宅退院後に機能の低下や代償の増強は避けられなくなる。


裸足になっても応用できる下肢装具の使い方が大切。
つまりは下肢自体で感じ、制御することを身につけてもらう。
装具ありきの制御ではなく、装具はあくまで下肢の能力の不十分な所を助け、
下肢の制御できる部分は自分で制御する。

装具は処方したらはい終わり、ではない。


下肢機能が改善しているのに
装具の固定や制動角度がそのままでは
本来の下肢機能が抑制される可能性もある。

健常者が装具をはけば歩きにくさはすぐに経験できる。


【患者心理と運動制御、過剰努力】

患者さんに対して一つの答えを求めるから、
患者さんはその期待に応えようと努力してしまう、
というかせざるをえない状況に追い込まれる。

答えではなく、
何を感じているかを患者さん自身が考える中で
自分の身体や動きに気づきやすくなる。


患者さんは、人生や運動パターンに無数の選択肢があることに気づいてほしい。
セラピストをはじめ患者さんを取り囲む人の
何気ない言葉がその自由度を奪う可能性があるし、
逆に新たな選択肢に気づくきっかけにもなる。
自分は後者でありたい。


良いも悪いも決めるのは患者さん自身。
その選択肢は患者さん自身の経験の中しか生まれない。
良い経験をしてなければ悪い経験の中から選択するしかないはず。
だからこそ思い通りに動かない感じない患者さんに
こちらは良い経験を一緒にすることが大事だと思う。


失敗してもいい、と思える心の余裕が
患者さんの過剰な注意や筋収縮を解放する。

失敗があるから上手くいった時の違いを感じることができる。
失敗を突っ込むのではなく、
成功した時に一緒に喜んだ方が患者さんの記憶に残りやすいのでは…


何がよくて何がよくない感じなのか、
患者さん自身が自分の身体を使って感じることが大切。
だから失敗してもいい、という声かけは大切。

うちは適当でいいよ、ということが多いけど(笑)

リラックスしてやることと、手を抜くことは違う。



【運動イメージ】

運動イメージは内言語と似ている。
はっきりとした形はなく全体的で抽象的。
イメージだけで麻痺が改善するとは思えない。
ただ経験した瞬間の感じ、を保持したり
繰り返す中で再現するためには利用できるかもしれない。


運動イメージは今現在ある身体でのみ意味を持つ。
おじさんが若き日のつもり(イメージ)で走るから転んだりする。

イメージと今の脳のネットワークや身体機能そのものが
そのイメージしている状態と異なっているから。


はっきりとしたイメージができる!という人は
スーパーアスリートか
単に外から見たような動きをイメージしたいわゆる視覚的イメージだろう。

ただスーパーアスリートの長嶋前監督もバッティングの指導は
若手にはつたわりづらい表現だったようだし…
やはりイメージはその人だけのものだろう。


運動イメージは言語化しきれない
微妙な感じとりも内在している、身体内感のような感じか。

無理に言語化しても他者には伝わりにくい。
言語はその複雑で抽象的な感じとりの一側面しか表現できないから。



上手くいっている感じを経験することで、
上手くいっている感じをイメージすることができる。
それはその時に賦活したニューロンネットワークを強化することにつながるのか。
それがないままイメージしてもそのネットワークができるのか?!


自分の臨床ではイメージだけで改善する患者さんをあまり見ない。
イメージだけで麻痺が改善するならイメージだけの訓練にするんだけど(笑)

それよりも一緒に良い経験を失敗しながらも
繰り返しながら患者さんと喜んだり、
悩んだりしていく方がその後の再現性は高いと思う。


ただ良い経験をしてもすぐにイメージしたり、
実際に一人で再現しようとしても難しい人もいる。

その時に言語を使う。

患者さん自身にこの辺を気にしたら上手くできる、という部分を一緒に探す。
ある部分で良い経験が再現できているなら、その一部を言語化しておく。



例えば立位で、膝がぐっとしている感じで立って、という言葉で
上手く体重を支持しながら動けるのであれば

膝をぐっと、というキーワードを使う。
その言葉が下肢全体の良いイメージを再現するトリガーになる、という臨床的な印象。


【知識と技術】

動きや姿勢、筋緊張、表情、言葉など
アウトプットだけを頼りに治療をし、なぜ変化したかの
プロセスが曖昧では良くない。

そこには知識と考察が必要。
でもアウトプットからわずかな変化も感じ取れる観察能力も必要。
頭でっかちになりすぎ、この感じ取りを軽視するのは良くない。


いくら認知機能を高めたとしても関節の構造は変わらない訳で。
知覚や認知ばかりを考えすぎて
構造上あり得ない動きを誘導しても良い感覚情報は入らない。


今日は病院の2~4年目のPT・OTと症例のビデオケーススタディから
実際のアプローチのための実技練習に発展。

このメンバーはしっかりと脳機能の勉強をしながらも
目の前の患者像を捉える努力をしている。
自分が同じ年代の時よりもよほどやってる。
うちも偉そうなこと言いながら一緒に勉強(笑)


偉そうにゆうのは自分へのプレッシャーをかけるため(笑)
そして自分の言ってることを後輩に感じてもらえるように実技提示する。
あまり細かい説明はしない。

感じ取りには知識と経験、イメージなど個人差があるから。
自分が一人の後輩に実技で感じてもらったあと、後輩同士で実技を行ってもらう。


その中で、さっきと全然違うぞ!
じゃあこうしたら?持ち方が悪い?力が弱い?方向が悪い?
その方向に関節は動かない?などディスカッションをしながら
実技をやり合ってもらう。

後輩それぞれが自分のやっていることが
実際にやられると予想とはかなり違うことを実感できればそれで良い。


自分がアプローチで狙っていることと、
相手がどう感じているか?
このズレを少なくできればアプローチの正確性が増す。

そのためにはまず自分の身体で同じ目的でアプローチされた際に
人が違えば、触られる場所や強さが違えばこんなにも受ける人は
感じ方が違うんだ、ということに気づかないといけない。


知識を増やすことは絶対に必要、反論する理由はない。

けれどそれを体現できるかどうかはまた別の問題。
現実の臨床では患者さんはどこを感じていてどんな風に感じていて
どのくらいの刺激量で…なんてことは目にも見えないし、

専門知識のない患者さんは何がどうなっているかも分からないかもしれない。


だけど刺激に対して患者さんは何らかのリアクションをするし、
楽とか怖いとかふらつくなどの意識経験は生まれる。

そこではセラピスト、患者さんの主観的な感じ取りを
大事にしなければならない領域もあると思う。

リハやアプローチの良い、悪いを決めるのは
最終的には患者さんの主観的な思いがあるから。
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コメント

No title
ニーチェ?!そんな偉そうなもんじゃないです(笑)

やっぱりツイッターやってない人にはいいのかな?
じゃあ今後も続けます★

整形でも中枢でも身体の感じ方は元々一緒のはずです。
感じるプロセスの問題の違いこそありますが。

整形で上手く患者さんの身体変化を引き出せるのであれば、それは中枢でも必ず活きると思います★
このまとめ毎回勉強になります。
ツイッターしてない僕には非常に助かります。
まるでニーチェの言葉のようです。笑

実技・思考過程を磨こうと健常者で治療の練習をさせてもらっています。
あくまで今は整形くさい見方ですが。。
中枢の実技が数年後しっかりできるようになりたいです。

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