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脳祭りの2日後…あるPTの感想に対する感想と補足

どうもどうも
脳祭りを終えテンションの高いうちに
ブログを更新します(笑)

講義資料希望のメールを沢山頂いております。

ある程度集まり次第配信しますので
もう少しお待ちを!

希望の方は一つ前のブログの記事からご応募下さい!


では今日は昨日に続きまして、
自分の講義に対する補足を書こうと思います。


脳祭りに参加していた前職場の後輩のブログ


たいやきPTのリハビリ日記

に講義の感想が書いてありました!


自分の部分の抜粋とともに、
それに対する自分の考えの補足をしたいと思います。

ありがたいですね。他人の意見というのは。

メールで来る感想もそうですが、
参加された方には何が伝わったのか?
自分の想いは伝えられたのか?

ということを客観的に知ることができます★

ではでは


姿勢制御=人生を楽しむ基盤

→やはり行為や思考などの認知は姿勢制御ありきだと思うんですよ。行為や認知は自分である程度の範囲はスタート、ストップや途中で違う目的の行為に変更したり、違うことを考えたりすることができる。
 でも姿勢制御を随意的にやめることはできない。情動もそうですが、自然と行われるもの。心臓の拍動のように自動的に近いもの。ただ自律神経系と違うのは坪井くんの話にあった覚醒と覚度で少し説明ができそう。
 姿勢制御は覚度が低くても、つまり電車の中でぼんやり外を眺めていても倒れることはないですよね。つまり覚度の影響は受けない。でも夜更かしして電車に立って乗っているときに眠りに落ちそうになると膝がガクッとして倒れそうになる。座っている時に横の人にもたれかかる。つまり覚醒の影響は受けそう、ということです。

 何らかの目的を持った行為や思考を行うために姿勢制御は大前提となるはずです。だからこそその基盤について話したら、講義時間がオーバーするという事故が起こりました(笑)

 でもそれぐらい大事なんです。座ってすらいられないのに、座って何かしようなんて思う余裕が生まれるはずないんです。


★★★
あと質問を頂きました、

「姿勢制御はそもそも無意識で行われるのに、それを意識することは意味があるんですか?」
ということに関しまして、

自分は意識的にもまずは姿勢を自分で保つことができるようにする。そしてそれを徐々に二重、多重課題の中で姿勢制御への注意配分を(パフォーマンスのレベルは低下しない範囲で)減らしていく、と答えました。

ただ無意識的に何かしらの動的な訓練などの中でも徐々に姿勢制御能力が改善する方もいます。時間経過で徐々に改善していく方もいます。
そういった方にはもちろん姿勢制御を過度に意識してもらうことはありません。

講義でもお話したように、
自分のアプローチの目的は
あくまで患者さんの生活のより良い方向への変化に導くことです。

姿勢制御を意識せずとも
他のアプローチでそれらが改善するなら
姿勢制御をする、というリハは意味がありません。


ただ言葉の節々に身体の崩れやバランスへの不安がある患者さんには
まずどうしたらバランスがとれるようになるか?
バランスが崩れたらどう解決するか?
にアプローチします。

そうしないとその先の問題点(実際のADLでの問題)に
患者さん自身が向き合えないからです。

整形疾患患者さんも似たような面があります。

下肢の骨折や術語侵襲による運動器の機能不全により
立位・歩行でのADLに問題が出ているとします。

でも患者さんは痛みをどうにかして欲しいことが多いです。
痛みの訴えが主である方に
たとえ身体機能によるADLへの問題点があったとしても

まずは痛みを解決しないと
患者さんはADLの問題と向き合えません。

眠れないくらい痛いのに歩けとゆうのか?君は?(社長風)

という位のことです。


虫歯の痛みが絶頂で食べる気力すら生まれないのに

一日分の栄養足りず痩せてしまうからといって
無理矢理飯を食わせるんですか?とも似ている。
(例え下手ですいません…)

実際に動作分析などで仮説を立て・検証をして問題点(ADLを阻害する因子)が
明らかになったとしても、
その問題に患者さんが向き合える状況に無ければ

まずはその向き合えない原因を解決するための
アプローチが必要になると思います。


歩行についてのアプローチも実際そうだと思います。
歩行もいわゆる脳幹のCPGが歩行活動を引き起こしています。

常に意識的に歩行をしている訳ではありません。

姿勢制御は無意識だから意識的なアプローチはどうか?というのであれば
歩行も同様の問題にぶちあたります。

でも多くのセラピストは
歩行に関して何らかの身体の意識的な制御を促しているのではないでしょうか?

膝や股関節、足底への荷重など、様々な要素を意識的に制御し歩行を改善しようとしているのではないでしょうか?

はじめは意識的であっても繰り返していく中でそれらは過度に意識することなく定着していきます。
良くも悪くも。

いわゆる片麻痺歩行も定着すれば意識的な歩行ではなくなります。
慢性期の片麻痺の方では時折見かけます。

意識的なアプローチでも本来無意識で制御される姿勢制御や歩行は改善する。
これは前述した徐々に注意の配分を減らしても十分にモニタリングでき、
さらにはパフォーマンスも維持されてくるプロセスがどこかしらにあるからかもしれません。

または意識的な制御の中で転倒の不安などが軽減してくれば
いわゆる過度の大脳皮質による制御ではなく
残存している脳幹レベルの潜在能力が出現しやすくなってくる、のかもしれません。

あくまで管理人の妄想です。



介助量は適切に。失敗させないことが必要だけど、失敗しそうになる経験はしてもらう。

→課題は患者さんが自己解決できる手段を見つけるための作業ともいえます。ここに気をつけたら○○ができるんだ!という経験が大事です。身体的な問題がA,B,Cの3つあったとして、Aの問題が一番アプローチすべきだ!と検証の結果考えたとする。ただB,CもAが上手く働けないことに影響をしているのであれば、Aの問題点を改善するためにB,Cはこちらで介助する必要があると思います。B,Cの問題も同時に解決しようとすれば、患者は結局Aに対して十分注意を向けることすらできないのかもしれません。患者さんがAの問題点に向き合えるためにB,Cの問題点はこちらで介助する必要があれば自分はしてもいいと思っています。

 失敗経験の繰り返しは患者にネガティブな感情を作り出します。上手くいかなければ、患者さんは何とか上手くしようとさらに努力性や代償を強めるかもしれません。もしかしたらリハビリに拒否的になってしまうかもしれません。

 失敗しそうになる経験をさせる、というのはそこで自分の問題点に気づいてもらうために使います。失敗をしないと自分ができないことに気づかない方にこのような方法を使うことがあります。
 ただ解釈を間違って欲しくないのは、ただ失敗させること、が大事な訳ではありません。

 失敗や失敗しそうになる状況を作り、その次にその問題を患者自身が解決できるレベルを設定します。失敗しそうになった時にどうしたら失敗しないようにできるか、転びそうな時に患者さんがあるものを手がかりにすれば自己にてバランスを保てる、直せるという成功経験にまで至れるレベルで設定することが大事だと思います。

 ものすごく高いレベルの課題を設定すれば、失敗します。でもそれはすぐには解決できずただの失敗経験となります。患者さんが少しある感覚や身体部位に注意を向ければ失敗を避けられる、そしてそれに患者自身で気づき再現できるレベル。が失敗しそうな経験です。失敗させることが大事なのではなく、失敗しそうな時にこうしたらいいんだ!という成功経験ができるレベルを設定することを意識しています。


前述した無意識の姿勢制御や歩行への意識的なアプローチ、失敗しそうな経験…

そのアプローチの意図は

自己にて解決できる!!経験を作る
という結果の上に成り立ちます。
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