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歩行について考えてみる

英雄とは自分のできることをした人だ。
凡人はそのできることをしないで、
できもしないことばかり望んでいる。

             ロマン・ロラン



1月のBridgeの振込のご連絡、ありがとうございます。

まだ振り込んでいない、という方は今月中の振込をよろしくお願い致します。



ということで久しぶりの更新です…
すいません。


今日は歩行について考えてみます。

PTであれば歩行の改善や獲得を全く考えない、という方は多分いないかと思います。

他のADLにも言えることですが、
自立さえすればいいのか?ということに疑問を感じています。

もちろん、自立できないよりもできた方が良いに決まってます。

でもものすごい跛行が出ていて、
本人も歩きにくさを感じていたり、
痛みが出るようであればそれは
改善すべきではないでしょうか?

急性期や回復期では
特に若いセラピストに言えることですが、

自立を焦り過ぎます。


しっかりと立つこともできないのに、歩行の練習を始めます。

2本の脚ですらままならないのに、
片脚での支持、さらに大きな重心移動とその制御が求められる

歩行を行えば、そりゃあ支持しきれず代償が出ます。

そしてなぜかその代償を直そうとします。

その代償とは何で生まれてるんでしょうか?


評価の不十分さと
歩行訓練を繰り返していれば
歩行が獲得されるんじゃないか、という
根拠のない治療プログラムを設定した

セラピストにあるんじゃないでしょうか。


いわゆる跛行や痛みのない/少ない歩行の獲得のためには


立位がしっかり取れること


が大前提になると思います。

その辺に関しては
ブログの荷重感覚、関連の記事をご参照ください。


自分は若き日、
歩行を分けて評価していました。

立脚期:初期接地、荷重応答、立脚中期・後期、前遊脚期
遊脚期:遊脚初期・中期・後期

がいわゆる歩行の相ですね。
間違ってたらすいません(笑)


立脚中期〜後期にかけてお尻が引けていたら、
いわゆる股関節の伸展活動を出す…

みたいなアプローチをしていました。

相に分けることで
各相のイベントからの逸脱を知ることができます。


逆に弱点は各相に分けて歩行を捉えるようになってしまいやすいです。

まるで一つ一つの相を足し合わせると歩行ができるような幻想に陥ります。

その幻想に陥ると、
一つ一つの相の問題をそれぞれ修正すれば歩行ができるような気になります。


でも現実は…そうではありません。


歩行は、というか動作全般は
連続した運動です。

何らかのイベントを分かりやすい部分で
こちらが勝手に分けているのが相なだけであって

動きとしては4コママンガ的なものでなくスムーズにつながっています。

だから例えば立脚中期に問題が生じていても
それはその前の相の荷重応答期の問題が続いているからかもしれないし
その次の立脚後期に実は問題があって
それに対応するための代償的な準備であるかもしれません。
また反対側の遊脚側の問題を代償した結果、立脚側にその問題が見えているだけかもしれません。


連続し、左右の下肢がそれぞれ別の運動をしているからこそ、
その相の前の相の影響を受けるし、
その後の相に影響を与えます。
反対側下肢の影響も受けます。

その悪循環が歩容の崩れとして現れます。

そのループを生み出している問題を見つけるのが
歩行の評価であって、
どれだけ各相それぞれが正常から逸脱しているかを
洗い出すことが重要な訳ではありません。


どんな動作でも
代償の目に見える形ではなく
なぜそのような動きになるのか?
を考えないといけないですね。
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