スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失敗のススメ

我らの目的は成功することではなく、
失敗してもたゆまず進むことである。


            ロバート・ルイス・スティーブンソン



こんなような本もあった気がしますが、
今回は失敗のススメについて書こうと思います。


臨床において、
患者さんの変化が思うようにいかないことは
毎日経験します。

昨日は上手くいったのに…
今日は…
なんてこともあると思います。


当たり前のことですが
教科書やら文献に載っていることを
そのままやっても上手くいかないことがあります。


患者さんの目に見える、見えないに関わらず、
臨床像というのは


患者さんの

実際の病気による影響
 +
患者さん自身の個性


が反映されていると思います。


同じような病巣の脳血管障害や
同じ部位の骨折、同じ種類の術式などであっても

同じ結果に至ることはほぼないと思いますし、
同じ歩容になることもありません。



そこには
それまで生きてきた中で培った経験や
記憶、人生観、生活背景、仕事、
家族や友人との関わりなど
様々なものが重なりあって

その人らしさを作っているからだと思います。

歩く、ということ1つとっても
同じ歩き方の人はいませんし、
歩く、という動作の先にある目的も違います。

子どもの頃に独りで歩けるようになるまでにも
発達的に大雑把には系統立っていても

親も違えば育ち方も違う中で
異なった経験の中で
歩行を形作っていったと思います。

そして病気に至るまでの
日常生活や学校での生活、
スポーツや仕事など
様々な経験を積み重ねて

その人なりの歩行

ができあがっているはずです。

本人が歩いている感じ、も
その人その人で
頼りにしている感覚や
歩いている感触も違うはずです。


じゃあ何らかの障害で
歩行が困難になった場合、

見かけだけの歩行を
評価、アプローチして変化することが
正しいのか?と思うんですね。


自分が若い頃、
脳卒中や大腿骨頸部骨折の患者さんを担当し、

当時、考えの浅い自分は
いわゆる
正常な歩行、という
見た目の動きばかりこだわって
リハビリをしていました。


その中で
外見上良くなり、歩行も自立し、
見た目も素人目には
それほど気にならなくなったレベルの方に

「歩きにくい」
「怖い」

と言われた記憶があります。

見た目に良い歩き
=本人にとっても良い歩き

と勝手に決め付けていた自分には衝撃でした。


たとえ見た目が良くても
本人にとって良い歩きではなかったんですね。


そこで今までの自分を反省しました。


だからリハビリの時間は良いけど
終わってしまったらすぐに
前の歩きに戻るんだと。


麻痺側や患側が
健側と同様の運動機能まで
戻っていないのに

見た目だけを修正しようとしても
難しいんです。

だって健側と同じように
荷重をかければ
支えきれなさそうで怖いし
グラグラする。

できれば体重はかけたくない

けどリハビリの先生はかけろと言う…

仕方なく体重をかける…

怖い

グラグラする

転びそう

身体がすごく(患側に)傾いてる気がする

でも先生は「良い」という…

何が「良い」のか?

こんなに怖くて歩きにくいのに…

もうそろそろリハビリも終わりの時間だ


もう少しだけ我慢しよう…。



というのがその方の本心だったのかもしれません。


それでも自立して退院を迎えれば
家族は独りで歩いている本人を見て喜び、
看護師さんも歩けておめでとう、と見送る


でも患者さんは歩けるようにはなったけど
怖いし、すごく歩きにくい、のかもしれない。



患者さんの言葉には理由があります。

セラピストが良かれと思っていても
患者さんの言葉と食い違ったら
ちゃんとその言葉の意味を考えることが大切です。

表情もそうです。
リハ中に困惑したり、集中できていなかったり、フリーズしたりするには理由があるかもしれません。

患者さんのせいにせず、
自分の思うような変化がない場合には
自分の関わりを振り返ることも大事です。

失敗することもあると思います。

失敗は恥ずかしいことではないと思います。

失敗を認めないことは恥ずかしいことかもしれません。

失敗しても自分の行動を変えないことは恥ずかしいことかもしれません。

失敗しても自分の考えを変えないことは恥ずかしいことかもしれません。
関連記事
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。