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頭で分かっても動けない

「考えるな、感じろ」

「増やすな。捨てろ」

「正しいか間違えているかなど、分けるな」


               ブルース・リーの名言


リハビリに通じていると思えませんか?

「考えるな、感じろ」

セラピストにも、患者さんにも言えますね。

若いセラピストは患者さんに良くなってもらおうと、色々な声かけをします。

例えば片麻痺の患者さんの立ち上がりの場面で、

「おじぎをして!」
「(麻痺側の下肢に)力を入れて!」
非麻痺側で勢いよく立つ方に「ゆっくり立って!」
「手で引っ張らないで!」「手を使わないで!」

などなど、皆さんも一度は言ったことがあるんじゃないでしょうか?

多くの患者さんが立ち上がりが上手くいかないのは、以前のように身体…立ち上がりでは特に下肢でしょうか…が使えないことが原因であることが多いです。

なのに「手を使わないで!」とか「おじぎをして!」という声かけはあくまで下肢が上手く使えていないから起こっていることに対する声かけですよね。
これらの指示をしたら下肢を使えるようになるのか?
それで使えてたらそもそも患者さんは手で引っ張る必要なんてないはずです。

下肢を上手く使えていないから困っているんです。


「ゆっくり立って」もそうです。

ゆっくり立ったら麻痺側の下肢が使えるようになるんでしょうか?なったら良いですが。



「力を入れて!」

…それで入ったら苦労しませんよね。それができないから困っているんじゃないでしょうか。


立てないから立つ練習。
歩けないから歩く練習。

何か矛盾してませんか?

立てない、歩けない要因を考えないまま、できない動作を繰り返すことで上手くなるのでしょうか?

もしそれで良くなるのなら、
生活期に代償的な歩行をしている方はいないはずですよね。

できないことを繰り返していればできるのでなく
できない要因を見つけ出して、その要因の改善に合わせて動作を行っていく。

できない要因を患者さん自身が頭で理解するだけでできるようにはなりません。

自転車が乗れない子どもに理屈だけ説明しても、乗れるようにはなりません。


自分の身体を使って体験したことの中から
上手くいく感じを経験し、
それを徐々に再現できるようになっていくはずです。


説明ではなく、実感

そんな関わりも大切ではないでしょうか。



「増やすな。捨てろ」

上記の例でもそうですが、沢山言えば言うほど、患者さんは混乱します。
例えば「手を使わない」「ゆっくり立つ」なんて声をかけられた患者さんは、
言われたことをするのに精一杯で、

麻痺側下肢のことなんて頭が回らなくなるかもしれません。

セラピストは麻痺側下肢を使って欲しいのに…

言えば言うほど患者さんは言葉にとらわれるかもしれません。

言葉にとらわれれば、素直に自分の身体の変化や感じを気にすることができなくなるかもしれません。


一言、または1つのポイントで上手くできる言葉や意識してもらうポイントを見つける

これが大事です。

そのためには観察と仮説・検証、様々な要素のつながりを考えていく必要があります。

言うのは簡単ですが、実際やるとすごく難しいですよね。

若いセラピストは個別に評価をしたりすることはできます。
ある筋が固いとか…
ある筋が弱いとか…
ある関節のアライメントがこうだとか…

ただそれを1つにまとめ上げる作業は苦手な人がいます。

たくさんの異常な要素を上げるだけで満足してもしょうがないです。

それらに共通するその方の問題を見つけることで
1つの変化が多くの要素の改善につながることがあります。



「正しいか間違えているかなど、分けるな」


これも若いセラピストに多いですね。

自分の考えを患者さんに押し付けてしまう…。

しかもそれが大体見た目だけで優劣を決めてしまうという…。


僕も若いころそうでした…


セラピストが思っている以上に、患者さんって分かっていますよね。

今は上手くできているのか、いないのか。


結果の良し悪しは分かる、けどどうしたら上手くできるかのプロセスが分からない、つかめないから困っているんだと思います。

だから答えを教える、というよりは
患者さんは今、何を、どうしようとしているのか?を知ろうとするスタンスが大切だと思います。

良し悪しはセラピストでなく、患者さんが決めるものですよね★


なんて当たり前のことを考える管理人でした。
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