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facilitation?代償?

目の見える人間は、
見えるという幸福を知らずにいる。
             
      ジッド(作家)


勉強会に参加している先生から
メールを頂きました


7年前に脳梗塞右片麻痺で11月に右大腿骨頚部骨折で
人工骨頭置換術施行の方です
歩行で著明なんですが、
右肩内旋して肩甲骨が落ちて
外転・上方回旋して
更に前かがみの姿勢なので
肩甲骨を自分で後方へ持ち上げるように提案したんですが、
それに対して
「こうすると足が出やすいな、最近段々と足が動きにくくなってたから」
って反応が良くて、一番歩行をどうにかしたかったので。
ただじゃあなぜそのアライメントになっているのかって所までは
考えが及ばないのでまたあの先輩に怒られそうですが



なんてメールを頂きました。

このメールの前の日に
先輩と話している中で
全然患者さんの立場にたっていない
ということに気づいて、

一生懸命考え、今日臨床での状況を
わざわざメールしてくれました。

そこでアドバイスを求められました。


自分の伝えたことは…

メールの最後にあったように、
なんで変わったのか?
を考えることが大事
ってことです


この患者さんは歩行で出にくかった足が出て、
本人も「足が出やすい」
と言っています

つまり動きも言語も変わっています

一見良さそうに見えますよね

でももしかすると

“間違った情報の利用”(前回のブログの記事を参照してね)

の可能性もあるんだよ
ってことを伝えました。


ADLとしての歩行、
と考えると、
出にくかった足が出ることで
自立の可能性が出てきたり
介助量が減ったりという
メリットはあります

この患者さんの麻痺側の運動機能を
詳しくは知らないので何とも言えませんが

出なかった足が出るようになった
ことはもちろん良いことです


では”情報”という視点から
考えると…

この場合は
肩甲骨を後方へ持ち上げるように

という指示をしたら
足が出やすくなった

ということです。

なんで足が出やすくなったのでしょうか?
肩甲骨のアライメントが何らかの形で影響していたことは
考えられます。

なんで?
ってゆうことを考えることが大切です。
それがわかると
他の患者さんにも応用できます。

この患者さんは
肩甲骨を後方に
という指示で本当に肩甲骨を分離して
動かすことができたのでしょうか?
そもそも肩甲骨の形を知っているのでしょうか?

もしかすると
麻痺側の体幹の伸展を伴っていれば
肩甲骨のアライメントではなく
体幹機能の問題の方が
問題点なのかもしれないですね。

単純に肩甲骨のアライメントが影響しているだけなら
セラピストが肩甲骨の位置を直せば
足は出る
ってことになるはずですよね

体幹の問題であれば
体幹の伸展を介助すれば
足は出る
ってことになるはずです

そこは評価すればおのずと見えてくるかもしれません。


間違った情報の利用
と考えると
この患者さんは
肩甲骨を持ち上げる = 足が出る

ということを学習してしまう可能性があるんですね

歩行する時はいつも肩甲骨を持ち上げるようにする
というパターンを学習します

もしかすると歩行はそれでいいかもしれませんが
麻痺側上肢の緊張を必要以上に
高めてしまう可能性もあります。

歩行だけができれば良い
という人であればある意味
歩行獲得の手段ではあるので
その患者さんのニードに合わせて
目指すべきゴールは変わるんじゃないかな

と自分は伝えました

代償でも歩行ができれば良い

のであれば肩甲骨を持ち上げる
という歩行でもいいんじゃないかと

だけど
上肢の機能の改善や
左右肩甲帯の対称性
ひいては体幹の対称性

また非対称性による腰痛や非麻痺側の下肢の痛み
が二次的に出てくることを考えると
それでいいのかな、
なんてことも考えられるといいよね
なんて思います。



そのためには

なんで肩甲骨を持ち上げると
足が出やすくなるのか????

を考えないといけないよ
ってことです


そもそもなんで肩甲骨のアライメントが
崩れているか

なんで足が出にくいのかってことも
考えないといけないですよね

麻痺なのか
人工骨頭のopeの影響なのか…

それが分からないと
どこ?何?
にアプローチするか見えてこないですね。


他にも
感覚やらbody imageの視点や
荷重感覚の考え方やら
色々話をしましたが

この辺は
過去のブログに書いてあるので
興味のある先生は過去の記事を見てみて下さい。



患者さんの立場に立つこと
患者さんの感じる身体をイメージすること
が大切だとうちは思います

患者さんの言葉を
自分の健常な身体の感覚でイメージすれば
ズレが生じます

そのズレを埋めるための
対話です


当たり前に感じる
我々は
感覚や知覚の重要性を
普段は感じません

足があるか
なんて意識するまでもなく
足があることは分かっています

足がない
とはどんな感じなのはイメージすることもないかもしれません

それをイメージすることが患者さんの立場に立つ
第一歩かもしれません★
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